御祭神・御由緒

宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ(別名 豊受気比売神 とようけひめのかみ)

名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神です。
京都・伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されています。
衣食住、生産豊饒(農業・商業・工業)の神。

 

大宮売神 おおみやめのかみ

太玉命(ふとだまのみこと)の娘であり、天の石窟(いわや)から新殿にうつった天照大神(あまてらすおおみかみ)に仕えたとされます。宮中の平安を守る神として皇居の八神殿に祀られた8神のうちの1神です。
また天皇の宮殿に鎮座して出入りの者を監視し悪霊の侵入を防いで、親王や諸臣たちが過ちを犯すことなく、心安らかに仕えるように見守る神であるとされています。開業・開店の福徳守護、裁縫の神。

 

猿田彦神 さるたひこのかみ

天孫降臨の際に、邇邇芸命をご案内しようと道の途中でお待ちしていた神様で、道の神、交通安全の神、旅人の神とされました。
また「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とされています。交通安全、球技、縁結び、子孫繁栄の神。

 

ご由緒

「日に一度御館の山に祈るこそ二十の吾の日課にてありき」と郷土の詩人伊東静雄に詠まれた当神社は、県央諫早、宇都の霊場に鎮座します。
御館山は、一千三百余年昔の大宝年間(西暦七〇一~七〇三年)に、行基菩薩が九州巡行の折、五智光山として開基されました。平安末期、鎮西八郎為朝が館を築き武術を練ったことから、御館山と呼ばれるようになったと伝えられています。

山頂には元禄五(一六九二)年 五智光山 四面上宮、宝暦元(一七五一)年 豊前英彦山の豊前坊が鎮座されています。また山中には霊塚が多数散在し、稲荷信仰の霊地として「幸恵美山―こうえみさん」と民衆の崇拝で賑わってきました。
寛延三(一七五〇)年、諫早藩主八代・茂行公の代、親藩鍋島家との間に百姓一揆(諫早一揆)が起こり、所領召し上げによって民衆は困窮を極め、各地の神社に返地の祈願が行われました。その折、佐賀綾部八幡の御神託により、京都伏見稲荷を勧請し、上り地返還、諸願成就、領内安泰を祈願するため正林の大乗院に社殿を建立し祭祀されました。その後、明和四(一七六七)年、先に没収となった領地は全部返還されましたが、これは稲荷神社の御加護によるものとして、この大神を篤く祀ることとなりました。

明治五(一八七二)年、社寺分祀の令により、この稲荷社を御館山に移し、十五代・武春公の代に祭祀された藤の森稲荷神社と合祀しました。以来、衣食住の祖神、生産豊饒・商売繁昌・家運長久・家内安全・除災招福・交通安全の守護神として現在に至っています。