熊野神社(諫早市破籠井町)

祭神:伊邪那岐大神・伊邪那美大神・月霊貴
創建:建仁二年(1202年)

由緒:大村市を背にして諫早市の最西北端に位置し、深き緑に包まれ、水清く閑静な部落の上座にありその守護神熊野大権現の社で境内を取り巻く樹木老木は天然の美をなしイザナギノオオカミ・イザナミノオオカミ・月霊貴の大三神を合祀している。

鎮座された由来は、平安時代の安徳帝寿永年間の昔、源平両氏壇ノ浦に戦い、平軍に利あらず大敗北し生き残りし将兵は各地に散り、文治四年(1188年)十月平家の一門、讃岐中将伊賀倉左近平時実、主従十一名その後いかなる道を辿ってか、遁れに逃れて肥後熊本天草を経て終局のところ破籠井に落ち延び、この熊野神社より西北一キロ先の讃州谷に落ち着いたという。今も当時住まった跡とみられる古き石垣石塚が点在し、その面影を残しているが讃州谷の名はその時に名づけられたものであろう。

それから十四年後の建仁二年(1202年)四月平家の守護神熊野大権現を祀るため、この神社の上手に当たる字野林の山嶺に神社を建立し平家再興の時を窺いつつ、武運長久とこの第二の郷土の安泰を祈念し創建されたもので、元文二年(1737年)、説によると山嶺の境内より向こうに見える都へ通じる街道を往来する人影を見るに忍びず、また目立ってはならない隠人の身であってか一段下の山麓の地(現在の境内)に移されたとのことである。今もその山嶺に社の跡が見られる。

昭和六十二年十月鎮座八百年祭が行われたが、今なお伝統的な祭として毎年二月一日の桃手祭は悪病災難の魔除・五穀豊穣・米寿者の長寿感謝・町内はもちろんこの郷土を離れている者や外に嫁いでいる者で厄年に当たる者は皆帰郷して感謝と安泰祈願の習があり最近に至ってはこの厄払いに町外からの祈願者も多い。兎角平家の落武者にまつわる由緒深き神社である。